7Sep

ボクサー物語、隣り合わせの「死」
「このまま死ぬのか、
最後、試合勝ってよかった」
「まだ生きたいが
どうしようもない」
「入院したから田舎から
親が来るだろうな、
もし死んだら部屋を
片付けるのは親だろうな、
息子が早く逝って
しまうことを許してください」
などと勝手な事を考えていた。
「アッ!」
そんな中、ある思いが
脳裏によぎったのだった。
そう、独身男性の一人暮らし、
エロ本を処分しなければと
真っ先に思った。
今、思えばどうでもいい事だが、
その時は真剣だった。
(身をキレイにして死んで
いきたいのか!)
病院の先生に、
「即入院と言われても、
親戚も近くにいないし、
一回だけアパートに
帰らせてくれ。
帰る途中に死んでもいいから!」
と気迫で迫った。
エロ本の為とはいえ、
そんな意味不明な気迫に押されて
先生からKO、いやOKの
返事を勝ち取った。
交渉成功である。
病(やまい)は気からの言葉通り、
さっきまで立てなかった人が
立って動いている。
無事? アパートまで帰り
友人を探し、声をかけた。
私
「オマエにいい物をあげる」
友人
「何? 顔色悪いな、どうした?」
私
「う~ん、何か知らないけど
入院することになった。
だからこれやるよ。
もう病院行かなきゃ
行けないから、ほら」
友人
「???(意味を理解できないまま)」
私
「後で病院に来てくれ」
友人
「わかった」
必死の形相で、急に現れた私から、
命を賭けて友人に託された
数々のエロ本。
「これで、何があっても
大丈夫だ・・・」
私は「絶対なる任務」を終え、
そのまま少しの着替えだけを
持って病院に向かった。
もう怖いのは何もない
(怖いのはエロ本だけだったのかオレ)。
親と一緒に暮らしている
健康な男の子なら、
誰でもエロ本をベッドの下や
本棚の奥などに隠し持って
いるものだ。
そしてそれが見つかることだけは
何としても避けなければならない!
親元から離れて数年も
経っているのに、
その習性だけは抜けて
いなかった(何よりも大事)。
病院に戻ると、これから
過ごす病室に案内された。
何と案内されたのは「個室」だった。
他の患者と隔離することが
必要であることを看護婦さん
に告げられた。
お金があって個室に
した訳ではないので、
「そんな悪いのか? オレ」
と思った。
生まれて初めての病室での夜。
その日はいろいろなことが、
走馬灯のように浮かんできて
眠れなかった。
そして、また立ち上がれなく
なってしまった。
ボクシングではダウンを
した事がなかったのに、
この病気では何度もダウンした。
ボクサーの頂点に立つ事しか
考えていなかった頭の中に
不安がよぎった。
「もしかしたらボクシングは
できなくなる?」
そんなことを思いながら、
病室の窓から外の街並みを
見下ろした。
そこには少し前まで自分も居た
「普通」の世界。
あそこのお店のハンバーグは
美味しかった、と思った瞬間、
なぜか無性に泣けてきた。
次の日、友人が訪ねてきて
「どうした?」と聞いてきた。
本当はこっちが知りたい
くらいなのに! と思いながら、
「なんか体が壊れたみたいなんだ」
と訳のわからないことを言っていた。
「オレ、個室で隔離されているんだけど、
面会に来て大丈夫だったの?」と聞いた。
友人「オマエが来いって
言ったんじゃない。
訳わかんないけど、
ただ事じゃないと思って
来てみたよ。でも元気そうじゃない。
何か必用な物ある?
いつまで入院するの?
「自由が欲しい!」
と言いたかったけど、
「病名がわからない(
その時点では知らなかった)
から、わかったら本、
買って来てくれ
(空気感染しない事を祈る)。
それと、会社に伝えてくれ、
電話OKなら自分で電話するけど。
まぁ会社で倒れたから
知っていると思うけど
(今みたいに携帯電話は
なかったんですよね、この時代)」
友人
「わかった、みんなにも言っておくよ」
私
心の中で「何て言うんだろう?」
と考えながら「頼むよ!」
と元気そうに言った。
お見舞い客がくる日中と違い、
夜はマイナスのことばかり
頭に浮かんだ。
一人になると妙な孤独感が
襲ってくる。
何度もベッドのシーツを握り、
悔しさに泣いた。
「どうしてこんなことになったん
だろう?」
「なんで俺がこんなことに・・・」
考えても答えが出ないことは
解っていても、何度ともなく
繰り返す。
そうしているうちに数日が経ち、
なんとか歩くことができるように
なった。
今でも理由はわからないが、
何度か病院の屋上まで
歩いていったことがある。
自殺できないように
病院の屋上はフェンスで
覆われていた。
それだけ絶望的な病気になる
人が多いんだろう。
自殺するなんて考えても
いなかったが、翼(自由)を、
もがれた私も、この先の自分の
人生をいく通りも考えた。
しかし、どうしても再びリングに
立っている姿は思い描けないでいた。
「生きたい! 窓の外の世界に行きたい」
ただそれだけを願っていた。
つらかった入院生活だが、
個室病室の一週間は
疲れきっていた私に、
自己を見つめる、神様からの
プレゼントだったように今は思える。
「生きている」ということが、
どれだけありがたいことかがわかる
ようになったことだ。
数日後、医師から病名を
告げられ、念願?
の大病室に移った。
それから毎日、医師が来るたびに
「いつ退院できるんですか?」
と聞いている自分がいた。
どんどん体が回復し、
元気になるにつれ、
体をもてあました。
私の治療は質素な食事と
点滴だった。
暇だったので、この点滴を
何分で終わらせられるか
タイムを計っていた。
ポタッ・・・、ポタッ・・・
と体に負担にならないように、
普通は看護婦さんがセットして
いくのですが、無知な私は、
看護婦さんがいなくなったら、
点滴スピードをポタ、ポタ、・・・と
速くし、ありえないスピードで終わらせ、
ナースコールをしていた。
病室には6人入院しており、
角ベットの私が点滴をセットされるのが
最後だったけれど、一番早く終わっていた。
それを見る看護婦さんが、
いつも頭をかしげていた。
それが妙におかしかった。
でも、心臓がなんか苦しいと
友人にバカ話を告げると、
「当たり前だよ、めちゃくちゃ
心臓に負担かかるんだよ」だって。
(やっぱり本当にバカだよオレ)
今では考えられないかも知れないが、
私の入院していた病院の大病室に
カーテンなどの仕切りはなかった。
常にオープン状態。
そのためか患者さんどうし、
仲がよく笑いあっていた。
(気をまぎらわしていたんですね、
みんな)
隣りのベットで入院していた人と、
すぐに仲良くなった。
年は上、それでも日中は
一緒にバカ話をしていた。
何の病気か聞いていなかったが、
奥さんが毎日見舞いに来ていた。
(まさか死の病に蝕まれているとは
知らず、結婚している人はいいなぁ
と思っていた。
皮のむかれたリンゴいいなぁ、
オレも食べたい!と、
皮ごとリンゴを食べていた
私は嫉妬していた)
しかし、面会者の訪れる日中と違い、
夜に襲ってくる体の痛み、叫び!
そんな彼も、毎夜、うなされていた。
こんな世界もあるのか・・・と
今まで元気であった私も深く
考えさせられた。
ある日、その隣のベットの男性は
個室に移った。
その彼の足の甲は、普通の2倍以上に
腫れていた。
そして聞いた彼の病名は、「癌」。
しかも末期だと・・・。
次の日、亡くなった事を
看護婦さんから聞き、涙した。
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医療の進歩
20代の頃の話ですが、
医療も大分進歩しています。
今は点滴もその度に針を
刺すのではなく、一度刺した針を
利用し、簡単に切り替えられる
ようになっていますから。
スピードもデジタルで
管理されているし、
医療の進歩は凄いですね。
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